今日は、豆彩という技法についてご紹介したいと思います。
(上の写真は豆彩技法で作られた蓋碗。景徳鎮陶磁器芸術名人方銀龍氏作品。)
豆彩というのは、中国伝統技法の一つです。
豆彩は明の宣徳時代(1426-1435)に作り始められ、成化年代(1465-87)の景徳鎮官窯で完成された技法です。
官窯というのは皇帝専用の窯のことです。
この技法はまず、景徳鎮の白色胎土(きめが細かく純白に近い白色の土)で成形した素地の上に淡い細い線の青花で文様(花、小鳥、蝶々、鶏など)の縁取りをします。
ちなみに青花とは元時代に発展した技法で日本では染付とも呼ばれています。
青花で文様の輪郭を描いた後、透明の釉薬をかけて高温(1300℃)で焼成します。
それから、青花の輪郭に沿って各種(赤、緑、紫、黄、青など)の上絵を丁寧に塗り分けます。
色(彩釉)を塗って青花の輪郭を埋めるわけですね。
それからまた焼き付けます。今度は低温(800℃)で焼きます。
こうして青花の淡い発色と、上絵のカラフルで鮮明な色調のコラボレーションが美しい磁器を完成させます。
豆彩の鮮明な色使いと落ち着いた色彩が独特の趣を作り出していて多くの人を虜にしています。
豆彩という名称についてですが、いろいろな説があります。
中国語ではドウツァイと発音するのですが、漢字は豆彩、斗彩、逗彩などと表記されます。
ドウツァイと呼ばれるようになったのには諸説あります。
豆彩は緑色が青豆に似ているところからそう呼ばれるようになったという説。
そして、上絵の美しい色同士が争うように見えるので、或いは青花(釉下彩)と五彩(釉上彩)が美しさを争うようにみえるので闘彩(斗彩)と呼ばれるようになったという説。
中国では主に闘彩(斗彩)と表記される方が多いように思います。
しかし、豆彩が完成した成化時代にはまだその名称ではなく、一説によると「成化五彩」と呼ばれていたようです。
斗彩と呼ばれるようになったのは、清の時代、雍正(1723-35)と乾隆(1735-1795)の間とされています。
この時代に豆彩の人気は高まり、精巧な、優れたものが作られました。
成化時代に作られた豆彩で現存するものはほとんど残されていません。
残されているものは高額で取引されています。
通称チキンカップと呼ばれている鶏缸杯が有名ですね。
鶏缸杯のレプリカはたくさん作られているので、豆彩というとチキンカップを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
チキンカップは豆彩工芸のほんの一部で、他にも魅力的な作品がたくさんあります。
(この養壺盤も豆彩技法です。)
このサイトでも素敵な豆彩作品を随時ご紹介していきたいと思っています。
お楽しみに!!!
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